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+PROJECT STORY プロジェクトストーリー

創造からやりがいは生まれる

一つとして同じ現場は無い……。だからこそ私たちの仕事には困難な壁に直面します。創造性が高いほど壁は高くなり、その壁をどう乗り越えたのか?
土木部と建築部に印象にのこるプロジェクトについて語ってもらいました。

STORY#01

土木部

STORY#02

建築部
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#01

大勢の知恵と努力、
技術の上に完成した京極発電所

京極発電所・上部調整池設計 / 京極町 / 1997年~2014年

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道内最大規模の水力発電所
京極発電所

土木部長の吉田考一さんと原子力部・地圏技術室長の梶山義晴さん。現在は異なる部署で働く二人が、かつて共にした現場が道内最大規模の水力発電所「京極発電所」です。「京極町北部の山間部に標高差のある2つの調整池を作り、約400メートルの落差を利用して、上部に持ち上げた水を落として発電する道内唯一の純揚水方式の発電所です。

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北海道電力やゼネコンなど多くの人員と、長い年月を要した一大プロジェクトでした」と、1997年の現場立ち上げから携わっていた吉田さんは語ります。梶山さんはその2年後の1999年に新入社員として現場入り。「初めての現場がこの大規模プロジェクトで、新人ながらそのスケールに高揚したのを覚えています」と振り返ります。吉田さんは調査、梶山さんは設計としてそれぞれ役割を担いながら、京極町の現場に常駐しました。

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プロジェクト最初期の
立ちはだかる課題「保安林解除」

設計は通常、調査が終了してから開始されるものですが、京極町のプロジェクトではその規模の大きさや期間の長さから同時並行で進めることに。この調査・設計の過程で最も困難だったと二人が口を揃えるのが「保安林解除」です。「現場は国が指定する保安林で、森林以外の用途へ転用する際には、様々な手続きと時間を有します。

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同時期に環境アセスメントの改正もあり、その道のりは決して平坦ではありません。解除敷地を最小限に留めるなど、一定の要件を満たした計画が必須でした」と吉田さん。新人だった梶山さんも「私は手続きに伴う図面作成や、排水関係の計算を担当しました。北海道電力の方を中心に全員が資料作りに奔走していました」と振り返ります。調査・設計は、プロジェクトのスタートライン。保安林解除の審査に向けて総力を挙げて取り組みました。

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ついに迎えた工事着手
そして京極発電所運転開始

業務上は関わりが少ない方だったという二人でしたが、「長期に渡って寝食を共にするので、吉田さんを含む現場の人たちとの交流はとても盛んでした。部署や会社の垣根を越えた人間関係が自然と出来上がっていましたね」と、梶山さんは多忙ながらも賑やかだった当時を懐かしみます。大規模なプロジェクトは期間も長く、

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始まりから終わりまで現場に留まることはほとんどありません。保安林解除を経て調査・設計が結実し、工事着工を迎えたのは2004年。ほどなくして梶山さんは別の現場へ、吉田さんも2011年に京極町を離れました。協力会社を含む大勢の知恵と努力、技術の上に築かれた京極発電所は2014年に運転開始。「完成時の感慨は、建設コンサルタントの醍醐味」と、プロジェクト最初期を支えた吉田さんと梶山さんは胸を張ります。

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道内最大規模の水力発電所
京極発電所

土木部長の吉田考一さんと原子力部・地圏技術室長の梶山義晴さん。現在は異なる部署で働く二人が、かつて共にした現場が道内最大規模の水力発電所「京極発電所」です。「京極町北部の山間部に標高差のある2つの調整池を作り、約400メートルの落差を利用して、上部に持ち上げた水を落として発電する道内唯一の純揚水方式の発電所です。北海道電力やゼネコンなど多くの人員と、長い年月を要した一大プロジェクトでした」と、1997年の現場立ち上げから携わっていた吉田さんは語ります。梶山さんはその2年後の1999年に新入社員として現場入り。「初めての現場がこの大規模プロジェクトで、新人ながらそのスケールに高揚したのを覚えています」と振り返ります。吉田さんは調査、梶山さんは設計としてそれぞれ役割を担いながら、京極町の現場に常駐しました。

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プロジェクト最初期の
立ちはだかる課題「保安林解除」

設計は通常、調査が終了してから開始されるものですが、京極町のプロジェクトではその規模の大きさや期間の長さから同時並行で進めることに。この調査・設計の過程で最も困難だったと二人が口を揃えるのが「保安林解除」です。「現場は国が指定する保安林で、森林以外の用途へ転用する際には、様々な手続きと時間を有します。同時期に環境アセスメントの改正もあり、その道のりは決して平坦ではありません。解除敷地を最小限に留めるなど、一定の要件を満たした計画が必須でした」と吉田さん。新人だった梶山さんも「私は手続きに伴う図面作成や、排水関係の計算を担当しました。北海道電力の方を中心に全員が資料作りに奔走していました」と振り返ります。調査・設計は、プロジェクトのスタートライン。保安林解除の審査に向けて総力を挙げて取り組みました。

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ついに迎えた工事着手
そして京極発電所運転開始

業務上は関わりが少ない方だったという二人でしたが、「長期に渡って寝食を共にするので、吉田さんを含む現場の人たちとの交流はとても盛んでした。部署や会社の垣根を越えた人間関係が自然と出来上がっていましたね」と、梶山さんは多忙ながらも賑やかだった当時を懐かしみます。大規模なプロジェクトは期間も長く、始まりから終わりまで現場に留まることはほとんどありません。保安林解除を経て調査・設計が結実し、工事着工を迎えたのは2004年。ほどなくして梶山さんは別の現場へ、吉田さんも2011年に京極町を離れました。協力会社を含む大勢の知恵と努力、技術の上に築かれた京極発電所は2014年に運転開始。「完成時の感慨は、建設コンサルタントの醍醐味」と、プロジェクト最初期を支えた吉田さんと梶山さんは胸を張ります。

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#02

新旧の建築物を介して
技術を磨く建築部

写真上:旧永山武四郎邸及び旧三菱鉱業寮改修/札幌市/2015年〜2018年
写真下(撮影:酒井広司):小清水町アグリハートセンター/小清水町/2019年〜2022年
含翠園/岩内町/2022年〜

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保存・活用を目的とした
歴史的建造物の改修設計

明治10年代前半に建てられた旧永山武四郎邸と昭和12年頃に増築された旧三菱鉱業寮。 明治前半期と昭和期の建築様式が同居するこの建物は「歴史的資産を掘り起こし、活用していく」という札幌市の取り組みで、2018年に大規模な改修がなされました。「旧三菱鉱業寮に関しては、昭和の後半にも一度大幅な改修が行われていたので、建築当初の面影に引き戻すことを軸に、

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耐震改修を含む保存整理を行いました」と話すのは設計を担当した建築部・建築設計室の宮越達也さん。「玄関ホールの壁をガラス張りに更新して、新設した1階カフェの賑わいの様子を見せるなど、活用を目的にした設計を行いました。」と振り返ります。当時、他社に在籍していた建築設計室の一色玲児さんは、外注として図面作成に参加。工事竣工の翌年、北電総合設計に入社しました。

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小清水町の雇用と産業を育てる
複合施設の設計

一色さんが入社して1年が経った頃、小清水町の農業振興拠点施設のプロジェクトが動き始めました。「廃校になった小清水高校の跡地に新築する農業振興の中核となる施設で、農業の担い手を育成するための研修や宿泊、加工品の製造など様々な機能を備えています。雇用と産業を育て町の発展を担う、前職では経験のない大規模な施設でした」と一色さんは語ります。

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設計の過程で最も困難だったのが「予算調整」。建設資材高騰により、実施設計の途中で工事金額の大幅な調整を余儀なくされたのです。「設計内容の見直しが必要になり、大枠の変更内容を共有した後、一色くんが建物の規模を縮小する変更案を素早く作成してくれました」と話す宮越さんに、一色さんも「宮越さんが関係者との合意形成に尽力してくれたおかげで期日内に予算調整を終えることができました」と応えます。

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予算調整の課題を乗り越え実現した
多機能を備えた農業振興拠点施設

信頼関係の中で進められた小清水町のプロジェクトは無事竣工を迎え、2022年4月に「小清水町アグリハートセンター」としてオープン。完成した施設は、小清水高校の記念碑が残された広大な敷地の中に建つシンプルかつ洗練されたRC造で、「建物を介して意識の変化を促す意図で、あえて都会的なデザインとしました」と宮越さん。

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「吹き抜けのあるホールに配置した2階宿泊棟へと向かう階段も、シーンが切り替わる象徴的な場所。鉄のプレートが折り紙のように上下をつなぐ、シンプルかつシンボリックなデザインをイメージしました」と、一色さんも言葉をつなぎます。機能性と共に内外を行き来する利用者の意識やシーンの変化もデザインに内包する「小清水町アグリハートセンター」。小清水町の未来を見据えたこの施設には、北電総合設計の設計力が詰まっています。

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着実に増えつつある
歴史的建造物の保存改修

宮越さんと一色さんは現在、設計管理として新たな歴史的建造物の保存改修工事に携わっています。「茶室風の家屋が敷地内に建つ岩内町の含翠園(がんすいえん)という庭園で、明治から大正にかけて造られた初代岩内町長の別荘です。耐震改修に加えて、展示施設の整備も計画し、旧三菱鉱業寮同様に新たな観光拠点としての活用を目指したプロジェクトです。

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ゆくゆくは文化財登録も視野に入れています」と意欲的に語る宮越さん。道内には歴史的建造物の保存改修を請け負う企業が少ないこともあり、旧三菱鉱業寮を皮切りにその依頼は着実に増えています。「現在と異なる建築様式は興味深く、自分達の今後の設計にも生かされていくと感じています」と、宮越さんと一色さんの二人は、新旧の建築物を通してその技術力に磨きをかけています。

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保存・活用を目的とした
歴史的建造物の改修設計

明治10年代前半に建てられた旧永山武四郎邸と昭和12年頃に増築された旧三菱鉱業寮。 明治前半期と昭和期の建築様式が同居するこの建物は「歴史的資産を掘り起こし、活用していく」という札幌市の取り組みで、2018年に大規模な改修がなされました。「旧三菱鉱業寮に関しては、昭和の後半にも一度大幅な改修が行われていたので、建築当初の面影に引き戻すことを軸に、耐震改修を含む保存整理を行いました」と話すのは設計を担当した建築部・建築設計室の宮越達也さん。「玄関ホールの壁をガラス張りに更新して、新設した1階カフェの賑わいの様子を見せるなど、活用を目的にした設計を行いました。」と振り返ります。当時、他社に在籍していた建築設計室の一色玲児さんは、外注として図面作成に参加。工事竣工の翌年、北電総合設計に入社しました。

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小清水町の雇用と産業を育てる
複合施設の設計

一色さんが入社して1年が経った頃、小清水町の農業振興拠点施設のプロジェクトが動き始めました。「廃校になった小清水高校の跡地に新築する農業振興の中核となる施設で、農業の担い手を育成するための研修や宿泊、加工品の製造など様々な機能を備えています。雇用と産業を育て町の発展を担う、前職では経験のない大規模な施設でした」と一色さんは語ります。設計の過程で最も困難だったのが「予算調整」。建設資材高騰により、実施設計の途中で工事金額の大幅な調整を余儀なくされたのです。「設計内容の見直しが必要になり、大枠の変更内容を共有した後、一色くんが建物の規模を縮小する変更案を素早く作成してくれました」と話す宮越さんに、一色さんも「宮越さんが関係者との合意形成に尽力してくれたおかげで期日内に予算調整を終えることができました」と応えます。

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予算調整の課題を乗り越え実現した
多機能を備えた農業振興拠点施設

信頼関係の中で進められた小清水町のプロジェクトは無事竣工を迎え、2022年4月に「小清水町アグリハートセンター」としてオープン。完成した施設は、小清水高校の記念碑が残された広大な敷地の中に建つシンプルかつ洗練されたRC造で、「建物を介して意識の変化を促す意図で、あえて都会的なデザインとしました」と宮越さん。「吹き抜けのあるホールに配置した2階宿泊棟へと向かう階段も、シーンが切り替わる象徴的な場所。鉄のプレートが折り紙のように上下をつなぐ、シンプルかつシンボリックなデザインをイメージしました」と、一色さんも言葉をつなぎます。機能性と共に内外を行き来する利用者の意識やシーンの変化もデザインに内包する「小清水町アグリハートセンター」。小清水町の未来を見据えたこの施設には、北電総合設計の設計力が詰まっています。

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着実に増えつつある
歴史的建造物の保存改修

宮越さんと一色さんは現在、設計管理として新たな歴史的建造物の保存改修工事に携わっています。「茶室風の家屋が敷地内に建つ岩内町の含翠園(がんすいえん)という庭園で、明治から大正にかけて造られた初代岩内町長の別荘です。耐震改修に加えて、展示施設の整備も計画し、旧三菱鉱業寮同様に新たな観光拠点としての活用を目指したプロジェクトです。ゆくゆくは文化財登録も視野に入れています」と意欲的に語る宮越さん。道内には歴史的建造物の保存改修を請け負う企業が少ないこともあり、旧三菱鉱業寮を皮切りにその依頼は着実に増えています。「現在と異なる建築様式は興味深く、自分達の今後の設計にも生かされていくと感じています」と、宮越さんと一色さんの二人は、新旧の建築物を通してその技術力に磨きをかけています。

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